あんじ窯
天竜の森の登窯で1300度の高温の世界か
ら生まれる作品たち。豊かな自然の恵みを受
けて、第二の陶芸人生がここからスタート。
天竜の山間の小さな集落を抜け、杉林の生い茂る山道をひたすら進むと森の中に突如現れる一軒家。陶芸家・井口淳さんが作品作りをしている登窯はそんな場所にある。普段は浜北区にあるアトリエで作品を作り、毎年春と秋にこの登窯まで作品を運び、窯焚きをしている。産地での修業を経て浜松に戻り、創作活動を続ける井口さんの天竜との出会いや繋がりについてお話を伺った。
焼き物は小さなころから身近な存在
独立を後押しした天竜の森の登窯
井口さんが生まれ育ったのは、浜松市舘山寺町。浜名湖にほど近い観光客も多く訪れるエリアで、山というよりはむしろ海に近い環境で育った。ご両親が陶芸教室を営んでいて、小さい時から焼き物を身近な存在に感じていたという。
「焼き物の窯屋の何代目とかではないから、継ぐという意識はなかったんだけど、大学で焼き物同好会に入ってひょんなことからのめりこんでしまったのがきっかけで。大学卒業後に焼き物の盛んな地域で修業してみたい、と思うようになりました。」
関東の大学を卒業後、愛知県瀬戸市にある窯業の専門学校で学び、食器などの日常品を作る技術を習得。瀬戸焼の専門校を修了した春に、縁のあった備前焼作家・山内厚可氏に師事し、3年間の弟子生活で備前焼の基礎を学んだ。その後、同じ備前市の人間国宝であった故山本陶秀氏が創設した備州窯という窯元に陶工として7年間勤務。轆轤仕事から薪窯焚きまで研鑽を積み、備前での修行生活は10年にも及んだ。
「独立したら浜松に戻るつもりでした。やるならこれまでやってきた備前焼でやろうと、岡山から戻ってくるときに備前の土を20トン持ってきたんです。やっといま半分くらいになったかな」
浜松に戻るにあたって、天竜区相津の出身で、浜名梱包輸送株式会社の会長である鈴木鐵男氏が所有する天竜区石神の別荘地内にある登窯を使わせていただけることになった。磐田市にあるシルクロードミュージアムの館長でもある鈴木氏は、美術に造詣が深く修業時代から井口さんとも交流し何かと目をかけてくれていたという。ご自身の別荘にいつか窯を作り、素晴らしい作品が生まれる場を作りたい。そんな夢を井口さんの可能性に託したといえるのかもしれない。自然の中で作品作りに集中できる、そんな恵まれた環境の中で井口さんの創作活動はスタートした。
窯焚きに欠かせない天竜材の端材
窯と対話しながら高温の世界へ
岡山から浜松に戻ってきて数年間は登り窯のある天竜で生活しながら創作活動を行っていたが、お客様とのやり取りを考えてアトリエを浜北区新原へ新設。一部急ぎの作品以外は天竜の登窯で6日間かけて焼成を行っている。作った作品は浜北のアトリエから車で何往復もして天竜まで運び、8000本もの薪を使ってひたすら窯を焚いて焼き締めをする。ガス窯や電気窯に比べて相当な手間と労力をかけてもなお、薪窯での焼成にこだわるのはなぜだろうか。
「たった200年前まではどんな作品もすべて薪窯で焼かれていたんですよね。でも、近年ではガス窯や電気窯のほうが低コストで安全で量産しやすいというイメージがあり、薪窯は廃れていっている現状があります。僕の修行した備前ではその薪窯をあえて使い、薪窯で焼くために必要なテクニックを修業してきましたが、薪窯は天竜の風土にもあっていると思うんです。何より燃料になる木が手に入りやすいですし、天竜の木材を使って天竜の窯で作品作りをする…その土地のもので循環させていけるのがいいと思います。」
窯焚きの作業では窯の温度を1200度~1300度もの高温に持っていくそうだが、このときに欠かせないのが天竜材の端材だ。
「薪窯を焚くときには、間伐材と丸太にするときの端材を利用します。天竜は材木問屋さんが多いのでそういったものが手に入りやすくてありがたいです。チップにもならないようなペラペラのものを利用するんですが、資源の有効利用という意味でもいいですね。」
この高温に持っていく作業がとても難しいのだそうだ。単にひたすら薪をくべれば温度が上がる、というものではない。ある程度の温度まではそれでもいいのだが、1200度、1300度となってくると、そこまでの温度にするには経験と技術がいる。井口さん曰く「窯と対話する」のだそうだ。窯と対話しながら天竜の山の中でひたすら作品を焼き続ける6日間は、きっと独特な時間の流れ方をしているだろう。そんな時間の中で生まれた作品たちだからこそ、なおのこと味わい深い。
天竜の自然と人から恩恵を受けて
作品を作り続けられることへの感謝
井口さんの作品には地域の素材を使ったり土地の風土を表現したりしているものもある。ベースは修業した備前の技術や土であっても、ここでしかできないこと、表現を模索し続けている。
「天竜や浜名湖の風土が好きですね。備前で修業していた時も浜松の風景と何となく似ているなぁと思っていました。天竜にも4年間住みましたが、阿多古川の清流が好きで。作品の中でもごつごつした線で阿多古川を表現しているものもあります。」
作品に使う土は備前の土に天竜や森町の山土を少し混ぜることが多い。土は何でもいいわけでなく、大体焼いてみないとわからない。粘土質が窯に入れて1200度で持つのかどうかのテストが必要だ。
備前焼は釉薬を使用せずに焼くので重ね焼きができる。そのときに稲藁を入れて重ねて焼くことで模様ができたり、もみ殻を入れることで黒い色が出せたりするそうだが、その稲藁も天竜の農家さんのものを使わせてもらっている。
「稲藁がいただけるのも農家さんが手作業でお米作りをされているからで、本当にありがたいことだなと思います。この天竜の地で最大限自分のやりたいことで活動を続けられていることには、本当に感謝しかありません。」
大自然の恵みを受けながら、同時にその厳しさも享受して生きている天竜の人々の懐の深さに支えられ、応援されて活動が続けられているという井口さん。そんな天竜の風土がこれからの世代の可能性を育んでいるといえるだろう。
手を動かし続けることからはじまる
新しい世界とのコラボレーション
現在の井口さんの活動は、作品作りと年に2回行う窯焚きのほかに、ギャラリーや百貨店での展示会の出展、地元飲食店の器のオーダー対応など、多岐にわたる。陶芸教室なども一部してはいるが、それをメインにはせずに、あくまでも作品作りで常に新しいことに挑戦していきたいという。
「作品は日常のものだけでなく大きなものも作ります。美術的な視点でたくさんの人に見てもらえるように、コンテストなどにも積極的に出品しています。備前焼は釉薬を使わないのが基本ですが、あえて釉薬をかけて焼いたり、白い土を入れて焼いたり、発展性を求めて新しいジャンルの開拓にもチャレンジしています。」
2019年9月13日と15日に開催された、天竜の魅力を発信する「CHEFS in RESIDENCE TENRYU -料理とお茶の出会い-」では、湯飲み、片口、一輪挿し、水盤の制作を担当。井口さんご自身も、器とお茶、料理、お花とのコラボレーションに大いに刺激を受けたという。
「CHEFS in RESIDENCEはあの短期間でその道のプロが複数結集して作っていくということで準備段階、イベント本番、後片付けも含めて濃密なコラボレーションでしたね。天竜の登窯で焼いた湯呑みを使って天竜茶を飲む、というのはイベントのコンセプトにピッタリだったと感じています。」
CHEFS in RESIDENCEのスタッフが打ち合わせで初めて天竜の窯を訪れたときも、井口さんは共にプロジェクトをすすめる仲間として協力的に寄り添ってくださった。きっとこんな風に開いた姿勢が数々のコラボレーションを生み出しているのだろう。
焼き物一筋20年。古きよきものを受け継ぎながらも、ジャンルにとらわれず常に新しいものに出会い挑戦し続ける…そんな井口さんのパワーの源は、一体何だろうか。
「とにかく作業しないことには何も始まらないですよね。手を動かして土を練る、日ごろのなんてことない作業を淡々とやる。ただ、それだけです。」
これからもひたすら手を動かし続け、風土や人のつながりを大切に紡ぎながら作り出される井口さんの作品に、各地で出会えるのが楽しみだ。
写真:新井 Lai 政廣 文:井上 紗由美