阿多古屋
築160年の昔の趣そのままに、一棟貸しの宿にリノベーション。阿多古集落の歴史を受け継いでいく。
築160年の「阿多古館」が、2018年、「阿多古屋」へと生まれ変わった。古さを残しつつも丁寧に修復され、趣を決して変えることなく、もう一度宿として新たな時を刻み始めた。清流 阿古多川(あたごがわ)で捕れる鮎を使った甘露煮がかつては名物だったという「阿多古館」は、近隣の人々にも愛される場所だった。そうした歴史とともに、貴重な建物を極力壊すことなく、受け継いでいこうとしている、オーナー林 道雄さんに話を聞いた。
朽ち果てていくだけの古民家をどうにかしたい、と一念発起。
その場所の魅力を再発見し、大切に守っていこうと奮闘する人たち。その多くは外からの移住者や外部の人間であることも増えてきた。ここ「阿多古館」も10年ほど前から空き家となり、建て壊すでもなくそのまま放置され、ただ朽ちていくだけという有様だった。しかし、そんな状況を憂いて、「この場所をなんとか残していかなくては」、そう思い立ったのが、浜松市北区に暮らす林 道雄さんだった。
「20代の頃、この辺りにドライブで来ていて、この街道沿いをよく通っていたんです。だからここに古い建物があるのは知っていました。すごく印象に残っていて、すてきな建物だなと思っていたんです。それから10年以上、何度も来るたびに、どんどん建物が朽ちていて。雨戸も閉まりっぱなしで人の気配が一切なかった。そんな時、不動産物件をネットで見ていたら、偶然ここが出ていたんです」
内見をしてみると、ところどころ、改修の必要がありそうだった。古い木造の建物は、見えない部分にメンテナンスが必要なことも多く、改修には時間もお金もかかり、予算はいくらあっても足りないほどだという。「大きいし、木造だし、買ったはいいけれど、改修しきれないだろうと不安だった」と林さん。しかし、改修に協力してくれる建築会社が見つかり、予算内の金額で収めるよと言ってくれた。そこで一念発起し、林さんはこの物件を購入した。
林さんは、この物件を購入した当初、宿をやろうとは思っておらず、写真の撮影スタジオとして使おうと考えていた。というのも、林さんは、湿板写真家として活動しており、セットを組まなくとも、ここの空間をそのまま活用すれば、当時の面影を残したスタジオになると考えた。
160年前といえば、まさに幕末。湿板写真とは、その頃日本に伝わった撮影技法のこと。湿板写真が入ってきたことにより、写真が普及するきっかけにもなった。そんな湿板写真家である林さんが、この物件と出会ったのも必然というべきか、不思議な巡り合わせとしか思えない。この場所は、林さんにこそ必要な場所だったのだから。
あくまでも、この場所は“一時預かり”。どうやって後世に残していくのか。
しかしならが、この建物をどうやって維持、継続していくか、林さんは考えあぐねた。これをただ買って、直す。自己満足でやるのもいいけれど、これを継続していかなくては意味がない。手直しながら、少しでも長く残していくためにはどうすればいいのだろう。
「建物や骨董もそうですけど、たとえ、いま僕が持っていても、それは“一時預かり”なだけなんです。結局、僕は手に入れたとして、その後はどうするの?ということになる。そのことを考えないといけない。ちゃんといいかたちで残していかないといけないし、ただ残すだけでなく、これからもずっと継続していくにはどうすればいいのか? どんな活用方法があるんだろうかと考えてみたんです」
林さんは目の前に流れる、阿多古川でよく遊んでいたという。抜群に透明度が高く、川底までも透き通っている。夏場になれば鮎も泳ぎ、川遊びスポットとしても有名な本当に美しい清流だ。
「この辺りは、すごくいいところだなと思っていて。だからここにいっぱい友だちを連れて来て遊びたいなと思ったんですよね。ここにもう一度、人を呼びたいなって
かつて、この辺りは「落合銀座」といわれるほどで、阿多古集落のメインストリートであり、昔から人が集まる場所だった。目の前の阿多古川には三角州があり、切った木材を流すための中継場所があった。そこで働く人々の休憩場所として始まったのが「阿多古館」だったという。当初は、おにぎりや汁物、お茶を出すだけだったが、いつしか料亭になり、鮎を提供する宿と食事処に変わっていった。近隣の人も「ここの2階でよく宴会をやっていたんだよ」と教えてくれたりと、昔からここは思い出深い場所なのだ。
その頃の名残が残っていた。鮎が描かれた包み紙。当時、ここの名物は鮎の甘露煮だったという。頭から食べても柔らかく、本当においしかったそうだ。
「地元人に話を聞くと、ここの甘露煮はうまかったよなとみな口をそろえて言うんです。あと、ここの味噌汁もうまかったよなと言う人もいて。実はこの近くに住む、原田さんのところのお母さんがここの味噌汁を作っていたそうで、いつか甘露煮とお味噌汁が再現できたら、最高ですね」
そうしたストーリーが途絶えてしまう前になんとかしたい。林さんは、いまのうちに少しでも何か残せないか、しばらく空いてしまった時間をなんとか取り持ち、未来へ残していこうと考えている。
そうした話を聞くにつれ、この場所がもともと持っている潜在的なものには、きっといまも人を惹きつけるエネルギーがあるはずだと、林さんは考えた。けれど、実際に人がここに来てくれるかどうかも初めはわからなかった。
この宿の手前に「ヴィラあたご」という一棟貸しの宿があり、オーナーの森さんに話を聞いてみると、林さんはヴィラの稼働率を見て驚いた。年間稼働率は約70%。阿多古という地域に夏だけでなく年間通して人が来ていた。
「それを見た時に、人が来ていないわけではなくて、人が来ているのに、足を止められる場所がないだけなんだ、と気がついたんです。足を止める場所のきっかけを作ってあげればいいんだと」
地域の人にとっても、大切な場所。これからもずっと明かりを絶やさないために。
宿を始めようと考えた時、林さんは真っ先に地域の人に話をしに行った。物件を買うか買わないか、その相談の段階から地域の人と一緒に話し合いを進めた。だからこそ、地域の人たちも協力的な体制を作ってくれた。“一緒に作っていく”という感覚があったという。
「とにかく地域のみなさんや自治会の人たちに会って、こういうことを考えているんだけど、どうだろう?という対話から始めました。購入までの段取りから、みなさんにヒアリングしています。『この建物は、地域の人にとってどういう建物なんですか?』と昔話を聞きながら。そうやって地元の人たちと交流がスタートしていきました。だって一人でできることなんて限られていますから。たとえ、どれだけお金があっても、そこで何かできるわけではない。地域の人たちが同じ方向を向いていることは大切なことだと思います」
みんなが面白くなってくれれば、動きも進めやすい。ここの次にこうしたい、ああしたいということも、あそこがあるよと教えてくれる。ちょっとこれが足りないんだけどと聞けば、うちにあるよと、一番心強い味方になってくれる。
「地域のみなさんそれぞれにここに対する思い出があるので、改修にもすごく気を使いました。手を入れすぎないように。思い出を消さないように。全く違うものにはしたくなかったので。だから夏のお祭りの時期は、昔みたいに、地域のみなさんにここで休んでもらったり、終わったらここでみんなで打ち上げしてもらったりして使ってもらえたらいいですね。地域のみなさんあっての建物なので。いつでも遊びに来てほしいです」
林さんはこの街道沿いに、明かりが灯らないことが「寂しかった」と言う。だから、ここの宿は人がいてもいなくても、ずっと明かりをつけている。私たちもこの道を通るたび、オレンジ色の明かりがとても優しく目に入ってきた。
「明かりを灯しておくことで、次の明かりにつながっていくんじゃないかなと。明かりが灯るだけで、人の息吹を感じませんか? 明かりを灯すことで、実はすごくいいPRにもなると思うんです。町のPRにもなるし、ここに宿があるというPRにもなる。看板を作る必要なんてないし、無理に広告を打つ必要もない。明かりは灯し続けないと」
消してしまってはいけないものがある。それを林さんは、大切にこれからも残していこうと奮闘している真っ最中なのだ。
写真:新井 Lai 政廣 文:薮下佳代