駅舎ホテルINN MY LIFE
行くことも含めて、ひとつの旅。
一日一組だけの駅舎のホテルから、ローカルな旅がはじまる。
天竜浜名湖鉄道は、静岡県掛川市の掛川駅から湖西市の新所原駅を結ぶ、1両編成のノスタルジックな単線だ。地元の人たちには「天浜線」と親しまれ、2010年には国の登録有形文化財にもなった。
その中程に位置する浜松市天竜区の「二俣本町」駅は無人駅だが、その駅舎を使った一日一組限定のホテル〈INN MY LIFE〉が2019年5月1日にオープン。
「天浜線に乗ってローカルな旅を体験してみてほしい」と話すオーナーの中谷明史さんは、カフェ〈Kissa&Dining山ノ舎〉のオーナーでもある。天竜をめぐるヒントを教えてもらった。
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浜松をまるごと体験できる場所。
ローカルづくしの滞在を。
天浜線「二俣本町」駅は無人駅だが、「その佇まいがずっと気になっていた」という中谷さん。かつてはそば屋が営業していたそうだが、場として魅力を感じていたから、どうなることかと、ずっと気にかけていたのだという。この場所が空いた時、迷わず「やります」と返事をした。まだその時は何をやるか具体的には考えていなかった。
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二俣の町の中心部にカフェ〈山ノ舎〉を始めたのは、「地元の魅力を発信できる場所」が欲しかったから。町の玄関口である駅に作るならば、旅の拠点となる宿を建てようと決めた。イメージは、鎌倉の〈aiaoi〉だった。
「鎌倉の〈aiaoi〉に宿泊した時、いい体験をしたなと思ったんです。ああいう風な場所ができたらなって。自分たちの暮らしに近いものを使った食だったり、部屋のしつらえもまとまっていて、なおかつ、地元の良さを伝えることもできるのが素敵だなと。飲食店をやるなかで、ああいう場所が天竜にも必要だなと思ったんです。だから、あの場所に宿ができたらおもしろくなるんじゃないかなと」
2018年9月に物件が空き、そこから構想をまとめ、2019年1月から工事を行い、5月にオープンするという特急の仕上げだった。内装はシンプルに、天竜のヒノキを使った床材が足あたりがやわらかく気持ちがいい。浜松市内の作家が手がけたオリジナル家具や照明をゆったりと配し、日本三大綿織物として知られる浜松市内で作られた遠州織物を使ったオリジナルのパジャマや枕カバーも肌触りが良く、寝心地にこだわった。朝食は天竜区二俣で人気の〈吉野屋精肉店〉のベーコン、中区にある〈L’atelier Tempo〉の天然酵母パン、はちみつは春野に住む養蜂家が手がけた〈養紡屋〉もので、地元の食材をそろえる。
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歩いて、迷って、聞いて、つながる。
自分だけの“地図”を作る楽しみ。
1泊朝食付きの宿泊料金には、天浜線のフリーパスチケットがついてくる。それは“ローカルを発見する旅”がテーマだから。
「町に飛び込んでほしいという思いから、フリーパスチケットをお渡ししています。いまの生活って、何でも補助が入りますよね。ガイドだったりやり方だったり、ネットにも情報がたくさんあって、事前に調べればある程度のことはわかってしまう。けれど、地方はまだ情報がない分、掘りがいがある」と中谷さんは言う。
だからこそ、あてもなく、ふらふらと町をまわってみるということが、とても貴重なものになってくる。ガイドなし、予備知識なしの状態で来て、自分の感性のおもむくままに、電車に乗って、気になる駅で途中下車して町を歩いたり、それぞれの町で、いろんなものを見つける旅。それこそが、とても贅沢な旅のような気がするのだ。
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「もっと自分で考えたり、感じたり、工夫したり、楽しむためにどうしたらいいんだろう?って常々考えていて。自分自身も考える力がなくなってるような気がしているんです。考える力や五感をフルに使って、知らない土地を楽しんでみるということをしてほしくて。何か困ったらもちろん何でも教えます。けれどまずは、自分が主体的に、能動的に動いて、見つけたものを持ち帰ってほしいなと思っています。自分で見つけた、って思えたらすごく記憶に残るし、大切な思い出になる。人から教えてもらったのとは違うものになると思うんです」
〈山ノ舎〉に行けば、中谷さんもいるし地元の人たちもいる。飲食店の数は少ないが、ちゃんと目を凝らせば見えてくるはず。地方の楽しみ方はまず自分の足で回ること。町を知るきっかけになるし、そこで出会った地元の人に聞いた“生の情報”こそが旅をおもしろくしてくれる。
「町を歩けば人が必ず歩いています。その人はこの町で生きている人だったり、何かしら関わり合いのある人だから、何か教えてくれるはずだし、そこで人とつながることで、何か生まれるはず。ドラクエじゃないですけど、自分なりの地図を作っていく、そんな旅をしてほしいんです」
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旅の目的地がホテルであり、
旅の出発点もホテルでありたい。
「谷根千の〈hanare〉、大塚の〈OMO5〉、香川県高松市の〈仏生山まちぐるみ旅館〉といった、宿を拠点に町全体を暮らすように旅する、そんなコンセプトの宿や旅のスタイルが増えているように思います。ここは駅舎ホテルなので、天浜線というローカル線を使っての乗車体験も宿泊体験の一部として楽しんでほしいと思っています」
電車を降りて、駅を始点に旅が始まるように、〈INN MY LIFE〉から旅が始まってほしい。天浜線のちょうど中央に位置する二俣本町駅から、掛川方面に行くもよし、浜名湖方面へ行くもよし。本来ならば旅の最終地点となるホテルが、さらなる旅の出発点にもなる。宿を目指して来てみたら、そこからさらに旅が始まる。「旅ってワクワクしてなんぼ。その気分をどうやって醸成していくか」という中谷さんから、改めて、旅そのもののあり方を考えさせられた。
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「予定通り進む旅もいいんですけど、電車に乗り遅れたりしてもいいと思うんですよ。毎日、電車の時間に合わせて分刻みで動いたりしていますけど、そんなにしばられるものでもないし、ましてや休日に旅してるわけだから、そこから解き放たれてもいいんじゃないかなって。そのことに気がつくと、もっと自由になれる気がするんです。だから、天浜線は移動手段として考えずに、天浜線のまわり全体が大きなテーマパークみたいなもので、その中を移動するトロリーみたいなものだと考えると、本数が少ないとか不便さを感じないんじゃないかな(笑)」
天浜線に乗ると、車窓には茶畑が青々としていて、なんとも静岡らしい景色が広がる。地元の高校生やおじいちゃんおばあちゃんと一緒に電車に揺られながら、のどかな風景を見ていると次第に時間の流れが変わっていく気がする。いつもと少し違った電車の旅。急ぐこともなく、ただただその時間に身をゆだねる。そんな乗車体験は、都会のスピード感をゆるめるのにちょうどいいのかもしれない。天浜線に乗ることも旅の目的のひとつ、そう思える時間を過ごせるだろう。
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天竜に取材に来るたびに思うこと。それは、前情報がなくて、自分で探しにいかないとわからないことだらけ、ということだ。ネットでは出てこない、けれど、おもしろい場所や人がいる、そういう場所がまだまだあるということ自体が、天竜のポテンシャルでもある。取材を通して、人と会い、話を聞くたびに、私たちのワクワクもどんどん増えていく。それをこれから伝えていくことが楽しみでならない。
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写真:新井 Lai 政廣 文:薮下佳代