丸芝製茶協同組合
手をかけ、目をかけ、時間をかけて
美味なる天竜茶をつくる人びと
その実直な手仕事から本物は生まれる
毎年8月に行われるという全国茶品評会では、厳選された良質なお茶が日本各地から集まり、審査される。天竜区には、その品評会で日本一になった農家が3軒もあり、最高峰のお茶の名産地なのだ。2015年には農林水産大臣賞を受賞したこともある丸芝製茶の大石顥(あきら)さんが手がける品評会用のお茶は、一つひとつ手で摘まれ、10時間もの時間をかけて加工されるという手のかけよう。職人たちの技の結集から生まれたお茶は、それはそれは美しかった。
機械とは違う、手摘みの丁寧さ
“一芯二葉”で、時間をかけて
ゴールデンウィークも終わりに近づいた2019年5月5日の朝8時。標高550mの場所にあるという天竜区熊地区の〈丸芝製茶〉の茶畑には約60人ほどが集まっていた。山間にある美しい茶畑。天竜区では見慣れた風景だが、ある一角だけ黒いネットを被せた場所があった。全国茶品評会(以下、品評会)に出すための特別なお茶を育てているのだという。丸芝製茶の責任者である大石さんは、冒頭、皆の前であいさつをした。
「手摘みでどこまで続けられるかわかりませんけれども、来年からはハサミに変わる可能性もあります。今年が最後になる可能性もありますので、ぜひよろしくお願いしたいと思います」
大石さんがそう話した通り、2019年が最後の年になった。品評会に出すお茶は特別なものだ。機械(ハサミ)で刈り取ると木茎などが混じってしまうが、手摘みは人手も時間もかかる分、葉のかたちがそろい、美しい仕上がりになる。茶の木の先端には生まれたての若くて柔らかい芽があり (一芯)、その下に生えている2枚の葉(二葉)と合わせて約5cmほどを摘んでいく。全体からすればほんのわずかな“一芯二葉”だけが品評会用のお茶になるのだ。葉によっては、二葉が伸びている場合がある。そういう時は“一芯一葉”で長さ5cmという基準に統一する。良いお茶をつくるためには、この基準を厳格に守ることが大事なのだという。針状にそろった美しいかたちは品評会で一番初めの大事な基準になるからだ。
集まった参加者たちは、手を洗い、腰にカゴをつけ、いざ茶畑へ。一芯二葉で摘むのが思いのほか難しく、初心者はどうしても時間がかかる。張り切って大きいかごを選んでしまったことを後悔する。けれど、小さいカゴだと中が蒸れてしまい、葉の傷みが進んでしまうため、大きいカゴのほうがいいのだという。また、「葉を摘む時は、爪を入れずに折るだけ」とも教えてもらう。爪が入ると、切り口が黒くなってしまい、葉っぱが傷んでしまうのだそうだ。摘み方や長さに気をつけながら、茶摘みに集中する。
次第に慣れてくると、隣の人ともおしゃべりが弾むように。「毎年お茶のできは違うの。気候にもよるし、本当はもっと生えてから摘んだほうがいいのよ。まだみるいね」と初めて聞く言葉に聞き返す。「みるい」とは、まだ完熟してない、若々しいという意味だという。「本当にいいお茶は、湯冷ましで淹れないといけないのよ」とお茶の淹れ方を教わったり。また、大石さんのお孫さんは「新茶の天ぷらが大好物」と話してくれた。摘んできたばかりの若葉に衣をつけて揚げたもので、新茶の季節だけ味わえる、茶農家ならではのお楽しみだ。そんな話をしながらも、皆しっかりと手は動かしている。手は休まず、口も休まず。
途中、隣では品評会用とは別の畑を機械で刈っている時、機械の音で、人の声はあっという間にかき消されてしまった。人と人がおしゃべりしながら摘めるのも、機械音がないからだという当たり前のことに気づく。きっと機械が入る昔はこうして家族や近所総出で力を合わせて茶摘みをしていたのだろう。
手摘みは今では県内でも行われているところは少ないという。自分が摘んだお茶が品評会に出る選ばれしお茶になるということに、うれしさ反面、責任感が伴うため緊張感もあった。この茶葉がどういうお茶になるのか。最後まで見届けたくて、茶工場へと向かった。
ほとんど機械化が進んだとはいえ
最後は人がおいしいお茶をつくる
生葉は摘んですぐに発酵が進んでしまうため、すぐさま工場へと運ばれ、加工される。茶葉を加工する製茶の作業はすべて機械に頼ることになるが、常に人が微調整を加える。匂いを嗅ぎ、葉の乾き具合を触って判断する、まさに感覚のプロだ。
製茶の工程は、蒸し、葉打ち(はうち)、粗揉(あらもみ)、揉捻(じゅうねん)、中揉(なかもみ)、精揉(せいじゅう)、乾燥といった工程を経て、荒茶(あらちゃ)と呼ばれる、火入れ前の半製品状態にして保存される。
蒸された茶葉の若々しいフレッシュなお茶の香りが工場内を満たしていた。蒸した茶葉は次の工程へと運ばれていく。製茶の主な工程は“揉み”と“乾燥”だ。
人肌より低いくらいの温度の弱い熱をかけながら揉み、ゆっくりと時間をかけて水分を飛ばしていくのだ。時々、機械の中に手を入れる。温度と乾燥具合を確かめるためだ。機械に温度の表示は出ているものの、葉によって水分量は異なるため、最終チェックは必ず人が行う。それはとてもアナログなようでいて、人の感覚という最も敏感なセンサーが必要不可欠ということでもある。
例えば、「ぎゅっと握って、ふわっとほどけてくる」タイミングで取り出す場合。そのタイミングを見計らうのは、実際に握ってみて判断するしかない。時間や温度などの数値では表すことができないからだ。「いくらいい機械でも設定しようがない」のだ。手の感覚でしかわからないことがあるのだ。
通常の製茶は、5時間ほどで終わるそうだが、品評会用のお茶は倍の10時間もかかるという。この日は徹夜で朝まで製茶作業を続けたそうだ。
美しく仕上げるために
お茶の見た目を整える
「味を決めるのは、蒸しと火入れが大きい。でも、一番は原料の茶葉そのもの。だから土づくりが一番大事だね。有機質の肥料を使ったり、山で刈った枯れ草を入れたり。コツは手をかけること。採算度外視だけど、畑に手をかける。そうじゃないと勝負できない」と大石さん。
品評会における一等の「農林水産大臣賞」のお茶にもなると、1kgあたり30万円もの値がつくという。だが、この日体験したお茶を手で摘み、製茶の工程を考えるだけでも、その惜しみない労力と時間のかけ方、さらには土づくり、畑の管理なども含めば、途方もない手間ひまがかかっていることがよくわかる。こうしたつくり手の背景を知るたび、値が高いか安いか、そんな単純な話ではないということを突きつけられる。
通常のお茶も、30年前と比べて生葉の生産量は1/4になったそうだ。さらには生産者の高齢化、後継者不足という問題も。茶葉は昔と比べて価格が下落し、やる気がある新規就農者がいても生活が成り立たない。お茶をめぐるさまざまな問題は山積している。
「お茶そのものの消費が低迷しているものですから、じゃ、どうやって生きるかっていう話なんだけれども、私らみたいな年寄りなんかが考えたお茶じゃダメだと思うんですよ。私の息子や孫が『このお茶おいしいね』っていうお茶をつくっていかないと、お茶の将来はないと思う」
お茶を取り巻く厳しい現実に直面しながらも、けれど、決してあきらめずに将来を見据える大石さんの言葉に共感し、〈すずしょう〉の鈴木笙吾さんのような若手もそばにいることが何よりの救いだ。
天竜茶のような“山のお茶”は、ほかの平地で育ったお茶よりも時期が遅く仕上がる。たとえば、掛川などの平地で育ったお茶はゴールデンウィークには出荷が終わっているが、山のお茶はゴールデンウィークから始まるといった具合。それに加えて、九州などの南の地域のお茶はさらに1ヶ月以上前に仕上がるという。市場では「早いものが先に売れる」という現実があり、遅いということはハンデだ。けれど、それがとびきりおいしいお茶なら、早いか遅いかという基準では計れない。つまり、おいしさで選んでもらいたい。そのためにも、「天竜ならではの山のお茶の特徴を生かして、おいしいお茶をつくること。それが一番大事」と大石さんは考えている。
それと同時に、私たち消費者も変わっていく必要があるだろう。「初物に価値がある」という風潮から、もう一度、それぞれの旬を再定義していくこと。旬は地域によっても品種によっても異なるし、早いものもあれば遅いものもある。“おいしさ”という一番当たり前で、一番大事な基準で選ぶこと。そのためにも、生産者と消費者の距離を少しでも縮めていくこと。「山のお茶は遅い」けれど「おいしい」ということを知ってもらうために、本当の価値をどう伝えていくのか。それがメディアの存在意義でもあると、改めて気を引き締めた。